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2014年に義理の母が癌で亡くなってから三年になります。

享年70歳でした。

本日命日となります。

(画像はお借りしました)

感覚的には

「まだ三年なの⁈」

という感じ。

もう随分年月が経ったような印象なのですが。

義理の両親のことは死後一日たりとも思い出さない日はありません。

とくにこの季節になると、あの頃のことが思い出されます。

母は亡くなる三週間ほど前に病院に入院しました。

入院してすぐに痛み止めの点滴を入れました。

その点滴が入るということは幻覚が出てくる恐れがある。

そして自分の余命は幾ばくも無いと感じたようで、私たち家族一人一人に

「話せるうちにお礼を言いたい」

とお別れの言葉をいただきました。

亡くなる前提でその言葉を聞くのはとても辛いことでした。

私から母へは、私のことを嫁として受け入れてくださったこと、子供たちが小さい頃からたくさん面倒をみていただき、愛情いっぱいに可愛がってくださったことへの感謝の気持ちを伝えました。

母は、

「なかなか孫の面倒をみさせてもらえない人も多いのに、預けてくれて私たちの方がありがたいと主人といつも話していたのよ」

と言っていただき、その言葉にまた胸がいっぱいに。

母は死というものをまだ受け入れることができなく、死ぬとき、また死後どうなるのかが恐怖としてあったようで夜もなかなか眠れないようでした。

私も子供も毎日病院に行き、母が欲しいもの、必要だというものはすべて用意し、少しでも快適に過ごせるように配慮しました。

そんな母もだんだん話もできなくなり酸素マスクをつけて寝ているだけの状態になっていきました。

「お母さん、苦しいですか?」

と聞くと、コクリとうなずく母。

そのたびに看護師さんから教えられた通り、痛み止めの点滴を追加で入れる。

もうこの頃になると、長く生きてもらうことよりも苦しみや痛みなく安らかに逝って欲しいという気持ちだけでした。

夜は私が病院に泊まることにしました。

いつ亡くなるかわからない母の病室に一人で夜泊まる怖さはもちろんありました。

ただ、息子である主人に夜にたった一人でその役目をさせるのはあまりにも酷過ぎるように感じたので、昼間は主人、夜は私で母についていました。

亡くなる二日前は痛みで夜も寝れないようで夜中も医者や看護師が何度も様子を見に来ていました。

私も病室にベッドは用意したものの、寝ることなくずっと母の手を握ったり、さすったりしていました。

そして、ひたすら心の中で、

「魂は永遠に生き続けるから死は怖くないのよ」

と言い聞かせたり、

「どうか母が穏やかに安らかに移行できますようサポートしてください」

とご先祖様にお願いしていました。

その時それしかできなかったから。

母は私が病院に泊まるようになった数日後に亡くなりました。

昼間、主人と交代して家にいるときに

「母が危ないから子供たちと病院に来て」

と主人から電話がありました。

その連絡があり、私たちが急いで病院へ向かう支度をしている最中に主人から母が亡くなったとの連絡を受けました。

私はその場で泣き崩れてしまいましたが、それでも最期を看取ったのが息子である主人で良かったと思いました。

母もきっとそれを望んだと思うから。

母の命日は私の誕生日の前日です。

素晴らしい気遣いのできる母でしたので、自分の亡くなる日が私の誕生日に重ならないように逝ったのかな、と思えてなりません。

携帯電話にある母と亡くなる六日前までしていたやりとりは今も消さずにおいてあります。

今日はもう一度それを見ながら母を偲びたいと思います。

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